
北海道旭川にて酒井誠一郎、紀子夫妻の第2子(長男)として生まれる。
4230(4320という説もある)グラムというなかなかの巨大児であった。
ちなみにこの日は父、誠一郎の誕生日でもある。
その数ヶ月後、家庭の事情(怪しい事情ではない)により
当時赤平市にいた母方の祖父母に約一年半預けられる。
1973年、千葉県市川市に移り住み、この土地で幼稚園そして小学校に上がる。
千葉では弟が生まれたり姉との喧嘩が激化していったりと3人兄弟仲良く育つ。
ここにいた5年間はリトミック(幼児のリズム教育)に始まり合唱団、ヴァイオリン、
書道などを習うが、遊ぶことに忙しかったのであまり身にならずに終わる。

北海道瀬棚郡北檜山町に移り住む。ここでは野生児であった。
周りは自然だらけだから学校から帰ってきては釣りや野球や海水浴、
冬はスキーやソリといったように自然とたわむれる毎日を過ごす。
初恋といえるものがあったのも北檜山だった。
札幌市北区新琴似に移り住むが、1年後父が家を建てたため同じ市内の
豊平区北野 (現在は分区し清田区になった)へ移る。
しかし1年後、また父に東京への転勤が決まる。だが家族会議の結果、
父に単身赴任してもらうということに落着した(帰ってきたのは4年後)。
この時もし東京に行っていたなら、その後の人生は全く違うものになっていただろう。

この年の春、姉経由で聴いたカルチャークラブがきっかけで 音楽を聴くことを趣味にし始める。
一生懸命英語の歌詞をコピーしていた日々が懐かしい。
中学時代の風貌は2年生の後半から変化し始めた。 やはり聴いていたアーティストの影響が大きい。
髪は立てはじめ、眉毛をそったり化粧に憧れたり・・・。
あの時ギターを持ち始めてたら、絶対ヴィジュアル系になっていただろう。
しかし好きになった音楽はどちらかというとピアノやシンセが入っているものが多かったので
自然にキーボードに興味を持ち、家にあったピアノを適当に弾き始めた。
坂本龍一に憧れだしたのもこの頃だ。
そうそう、思い出した。3年の時の音楽の成績が1だったことがある。
やっぱり義務教育時代は授業態度が相当成績に反映するものだ。
父が単身赴任でいなかったせいか、この頃は麻雀をしたり
夜こっそり家を抜け出してみたりと遊びほうけてばかりだった。
この学校は結構厳しかったが、その3年間は良い友達に恵まれたおかげで充実したものになった。
恋もしたし結構飲んだし夜遊びもちょこっとした。
この年初めてのシンセサイザー、DX7・を購入し本格的にキーボードを練習し始める。
そして練習すること3年間、音楽を職業にすることを決めた僕は1989年春、
とある音楽専門学校に入学するため上京する。

その2年間の音楽生活の中では挫折を知ったり自信をつけたりと様々なことがあったが、
自分の才能を生かすのは作曲しかないと思い始める。
20歳の僕は同期の友人と、ある音楽事務所のバイトに採用される。
機材を運んだりと大変な仕事ではあったがすごくいい経験を積む。
その年の暮れ、羽野晶紀さんのサポートキーボーディストとしてプロとして初めてのステージを踏む。
悲しい出来事が重なり自分を初めて見つめ直す。
やっていたバンド(キーボードとして)を脱退し、自分の声で自分の作品を歌うためにデモテープを作り出す。
デモテープが認められ、翌年の2月9日シングル「今だけは君を離さない」でデビューする。
その後自主制作盤を含めシングル22枚、アルバム11枚、配信曲等をリリースし、現在に至る。
近年はプロデュース、アレンジ、キーボードと自分の幅を広げるために孤軍奮闘中。
これからも大いにすこぶる地道によろしく。
酒井ミキオ |
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生年月日
出身地
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1970年8月24日(乙女座)
北海道札幌
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